昭和44年06月25日 夜の御理解
たとえば例をあげますと、同じお金でも100円出す1000円出すと、5000円、10000円とまぁお札がありますが、紙の質とか形とかというものはそう対して変わらないのですけれども、やはり100円だって500円札の値打ちする事は出来ません。やっぱり500円札は500円札、やっぱし1000円札は1000円札の用をするのですが、人間でもやっぱりそうだと思うのですがね、もう対してそのうまぁ器量がええとか悪いとかと言った様な言は、あのうは大した事はあのうない。
いわば神様の目から御覧になりゃやっぱり一個の人間であり、神の氏子としてのそれはみんな備えておりますけれども、そのう値打ちと言う事になってくると、やはりそれが神様のご信用であってみれば違う事を感じます。今日はあのう婦人会の例会、引き続いて研修会でございましたが、今日はあの秋永先生が出席されるはずのが、ちょっと他の用に行ってもらって、どうも出席出来なかった。ほんに先生が一人おりませんと、もうなんちうでしょうかね、なんかこう研修会が研修会らしくならないんです。
先月は確かいましたか何んかでやっぱいけませんでしたけれども、竹内先生が見えておりましてね確か、それで竹内先生がまぁ本当にゃこう、研修会の雰囲気を盛り上げて下さったんですね、とにかくやはり値打ちだと思うんですね、誰が一人例えばおるかおらないやら、あっ今日は見えとらんばいの位な事で、そのう大した事ないですけれども、そこにそのう神様のご信用を、なら裏付けを持っておる人がおらんとやはりその寂しいと言うだけじゃなくて、その会なら会の盛り上がりも無いと言う様な感じが致しますね。
そういう意味合いでは秋永先生当たりは神様のご信用を、ある意味合いにおいて受けておる人だとこう思うんです、同んなじ一人は一人であっても、やっぱり10人がたは20人がたも、私は値打ちのある人だとこう思うんですね。お金がやはりそのう国家の信用というものになって、5000円がた10000円がたもあるんですけれども、人間の値打ちもやはり、天地の親神様のご信用です、その裏づけと言うものがです20人の分の働き、50人分の働きをする人がやはりある事をですね感じます。
今日の研修会で私はそんな事を感じたんですけどね。はぁこりゃ秋永先生はやっぱり10人、20人分がたの値打ちのある人だなというふうに思うた。やっぱり神様のそれだけご信用を受けておる人だと、お互いがそこんところを思うと、こりゃいよいよ神様のご信用を受けて行けれる生き方に、ならなきゃならんなと言う事をいよいよ強く思いますね。 どうぞ。